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RATIUG

Early Days
April Skys
First Live
Summer Time Fever
One Summer Day
Live at Asakusa Liaison
One Day At Studio
RATIUG 1992 Live
Live At Shinjuku OZ 1992.9.5
1993.9.26. Live at Crescendo
Ratiug Last Live
Rock'N Roll Christmas

 本当は中心メンバーである吉田が地元・宇都宮時代から使用していたパンク・バンドの名前らしいが、ここでは1989年8月結成以降の東京時代のみを扱う。このバンドは、実質的に吉田と高坂のバンドといえる。
 下にあるロゴは吉田のデザイン。

結成
 読売新聞長崎専売所でバイトをしていた吉田と高坂の出会いから始まる。しばらくは互いのボロアパートを行き来しながらギターを弾き合ったりしていたが、夏頃までには「バンドでもやっか」という話しになる。共にギターなので、ツインギター・バンドで、ギター中心のHRバンドを目指す。「RATIUG」はそんなバンドにピッタリな名前だと思った。バンド名だけが早々に決まっている状態であった。

始動
 1989年8月末。メンバーはギターの2人に、ベース・田上、ヴォーカル・片桐、ドラム・赤堀、片桐と赤堀は女性で、この時点で吉田以外は池袋の東京レコーディングスクールの生徒。片桐、赤堀はすでに学校の他のバンドでも活動していた。
 その東京レコーディングスクールと提携していたサンシャインそばのYAMAHA LM Studioを本拠地とし、初音合わせ。曲は片桐、赤堀の学校でのバンドのレパートリーの「Mama Kin」(オリジナルはAerosmith)、吉田推薦の「Boy (Runing Wild)」「Kill Me Your Love」(オリジナルはBlizard)といったところ。しかし、あまりに下手クソで、一番マシな赤堀ですら「走る走る」状態。メンバー間の好みにも差がありすぎ、あっという間に暗礁に乗り上げてしまった。

Early Days
 1989年晩秋、早くもメンバーチェンジ。感覚的には、これが本来のスタートといった感じ。新メンバーはヴォーカルに佐知ねえ、ドラム・牧、ベース・浅妻で、佐知ねえのみ女性。お茶の水の楽器店に貼り出した募集チラシで集めたメンバーで、佐知ねえと浅妻は大学生。偶然にも佐知ねえ以外は同い年の20歳。佐知ねえは一つ上ということで「あねご」と呼ばれていたが、あまりに嫌がるために「佐知ねえ」に落ち着いた。
 YAMAHA LM Studioを本拠に、曲は前メンバー以来の「Mama Kin」の他、「Here I Go Again」(Whitesnake)、「Future World」(Helloween)、「Hold On」「Heaven Tonight」(Yngwie Malmsteen)で、吉田と高坂で話し合って推薦した曲。ツインギターを意識している。8月よりはレベルアップしたもののまだまだ下手クソで、中でも一番戦力になっていない浅妻をクビにし、ベースなしでリハーサルを重ねた。「Heaven Tonight」や「Here I Go Again」では高坂がキーボードも弾いた。すぐに曲を増やし、佐知ねえ推薦の「Seven Doors Hotel」(Europe)、牧推薦の「Give Me All Your Love」(Whitesnake)を加えたが、ベース不在のためライブ活動を出来ずにいた。

2人娘登場
 1990年3月、再びメンバー募集のチラシで、強力2人娘がメンバーとなる。お目当てはベースの山口だったが、その親友・北世(キーボード)も強引にメンバーとなったため、男女3人ずつの6人編成となった。2人とも音楽学校卒業間近で忙しかったが、演奏レベルが高く行動力もあり、吉田・高坂のリーダー格2人を強力に後押しする勢いとなる。北世は他の楽器も出来る上、山口とともに美しいハーモニーをつけることも出来たので、女性3人の見た目のみならず、音的にも華やかになった。
 4月29日、池袋サンライズでFirst Live。短いステージだったが、全員緊張気味。しかしここでも2人娘が引っ張って何とかカタチになった。

2人娘リーダー時代
 First Liveを区切りに、就職活動が忙しくなるために予定通り佐知ねえが離脱。間もなく牧も意味不明の脱退で4人となり、吉田推薦の新ヴォーカル・高田はなぜか現れず、結局、山口が歌い、ベースは北世、ドラムは北世の知り合いの須藤というラインナップで活動再開。選曲も2人娘が行い、この2人が実質的リーダーとして再始動した。過去の曲はすべてリセットされ、Motley Crue、Michael Monroe、Beatles等の曲をレパートリーとし、曲によって、北世がキーボード、吉田がベースに交代するという珍しい場面もあった。「Still Of The Night」(Whitesnake)という、再現が難しい大作にも挑戦した。
 7月15日に再び池袋サンライズでライブを行った。直前に山口に不幸があったが、それを感じさせない姿と、鬼気迫る迫力のヴォーカルが感動的だった。バンドはここで以前から話していた通り解散した。

幻の第3期
 その後、高坂は新バンド・PARAへ加入し、その一方、山口と北世は高坂と共にWhite Pom Pomを結成、吉田もメンバーを集め新バンド結成に動いた。この吉田の新バンドは、4月から同じ仕事場に加わった工藤をベースに、そしてヴォーカルは第2期RATIUGに入りかけた秋田美人・高田、ドラムに元Spirits(女性バンド)の桑原というラインナップで、同じ職場の高坂にも頻繁に情報が入っていた。間もなく、高田が参加できなくなり、9月に行われるライブが決定していために、高坂が助っ人的に参加することとなる。これで高坂は3つのバンドの掛け持ちとなった。
 高坂は助っ人という立場であり、RATIUGとの差別化を計るため、当初はキーボードでの参加だったが、北世には遠く及ばないレベルだった上、「Highway Star」(Deep Purple)、「Jump」(Van Halen)といった選曲もいまひとつバンドに合わず、結局高坂がギターに復帰し、バンド名もRATIUGとして活動することとなる。メンバーは吉田、高坂、工藤の他、ドラムに桑原、そして「RATIUGならヴォーカルは佐知ねえだろ」ということで、忙しい合間を縫って一時復帰。リハーサルの大半はヴォーカル抜きで行った。
 9月15日のライブは浅草リエゾン。佐知ねえ向きの曲ということで、「Future World」と「Hold On」「Seven Doors Hotel」を復活させ、「Never Say Never」(Triumph)、Separate Ways(Jurney)、「Since You Been Gone」(Rainbow)を同様の理由での新曲を選び、途中で短いGuitar SoloとDrum Soloも挟んだりもしたが、内容的にはいまいちの出来だった。

復活ライブ
 1992年、吉田の「一度だけのRATIUG復活ライブをしよう」という呼びかけに高坂、工藤、桑原が応え、ヴォーカルにKEIを迎え再結成。高坂は腕が不調だったことからサポート的な立場での参加。9月5日に新宿OZにてライブを敢行。映画『ターミネータ2』の印象的な音楽のSEから「You Could Be Mine」(Guns'N Roses)でスタートし、懐かしい「Mama Kin」、そして「Bad Boys」(Whitesnake)で幕を閉じたこのライブは、過去のライブと比べても盛況だった。
 これに味をしめ、バンドの存続を願った吉田を中心にドラムに小松を加え第5期メンバーで活動開始。RATIUG史上初の全員男メンバーの時代となった。ヴォーカルは吉田と工藤が分け合う。
 1992年12月19日、東京労音でのクリスマスライブはRATIUG史上でも最高のライブとなり、イベントでの参加のため、テーブルに食事が並び年配者も見守り、興奮した子供が走り回る中での演奏だった。ただし、高坂にとっては機材のトラブルに見舞われ苦い思い出。
 1993年、9月に吉祥寺Crescendo、11月にお茶の水女子大、12月に懐かしい池袋サンライズでライブを行ったが、この頃には高坂と工藤が脱退の意思を固め、小松も翌4月までに脱退し、2度目の解散をした。

CD化
 1997年以降、折りを見て高坂が過去の音源のCD化に着手。当時から、1回のリハーサルにつき1曲程度をダビングし残していたものがあったため、それをマスターとしCD化した。ライブ音源は直録したものをそのままCD化したが、3rd Live以降の音源は見付けられなかった。当時に聴いたり、ビデオで残っているものも見た覚えがあるが、現存しない。
 CD化に際し、当時の古いデモテープも発掘。最初のCD『Early Days』のオープニング曲は、使えそうもない当時の音源を「Sound Edit 16」というソフトでコラージュしたもの。デモの音源自体は古い4トラックのMTRで録音されていた。

メリー・ジングル
 2001年、高坂と吉田が連絡を取り合い、1曲のみのレコーディングを行った。曲はクリスマス・ソングの「We Wish a Merry Xmas」と「ジングルベル」が一緒になった「A Merry Jingle」。Pretty Maidsのバージョンが元ネタだが、途中にベートーベンの「第9」を挟んだり、アレンジを変えている。この曲は1992年、93年のクリスマスライブでも演奏しており、それをバージョンアップさせた感じだ。
 ドラムはMIDI打ち込み、高坂のギターは宅録、吉田のギターとヴォーカルは葛西のStudio GIQUEでの録音。それを知って、左右で分けられているギターの音を聴くと違いがとてもよく分かる。クリアで切れ味のある高坂の音と、野太く迫力のある吉田の音。何となく本来の持ち味と逆のようでもあり面白い。ハーモニーも高坂が多重録音で行い、1993年のラストライブでの音源も加えてCD化した。ジャケットデザインは当時それ系の勉強をしていた吉田に手による。

Last Live DVD化、その他
 2015年2月、偶然1993年の Last Live のビデオを発見。早速DVD化した。他に資料がないため、ジャケット写真はビデオからとったものを編集したもの。裏ジャケットの写真はビデオからのものそのまんま。
 その後、2017年に1990年の浅草リエゾンのライブ音源が、2018年には1993年の吉祥寺Crescendoのライブ音源が発掘された。いずれも貴重な音源。

ライブヒストリー
日にち 場所 ライブハウス 曲数
1990.4.29. 池袋 サンライズ 50人 5曲
1990.7.15. 池袋 サンライズ 30人 8曲
1990.9.15 浅草 リエゾン 15人 6曲
1992.9.5. 新宿 OZ 80人 7曲
1992.12.19. 新大久保 東京労音アート
コートホール
200人 5曲
1993.9.26. 吉祥寺 Crescendo 50人 6曲
1993.11.7. 護国寺 お茶の水女子大 45人 9曲
1993.12.25. 池袋 サンライズ 20人 6曲

メンバー変遷
時代 期間 Vo G G B Dr Key
最初期 1989.8. 片桐 高坂 吉田 田上 赤堀  
第1期初期 1989.12〜1990.2 佐知ねえ 高坂 吉田 浅妻/太田 高坂
1990.3. 佐知ねえ 高坂 吉田 高坂 高坂
第1期後期 1990.4〜5. 佐知ねえ 高坂 吉田 山口 北世
第2期 1990.5〜7. 山口 高坂 吉田 北世/吉田 須藤 北世/高坂
第3期 1990.8〜9. 佐知ねえ 高坂 吉田 工藤 桑原 高坂
第4期 1992.8〜12. KEI 高坂 吉田 工藤 桑原  
第5期 1993.1〜12. 吉田/工藤 高坂 吉田 工藤 小松  

それにしても、今頃になって佐知ねえや山さんの歌声を聴いてにんまりしている人間がこの世にいるとは誰も思うまい。(2014.10.)

高坂の回想と感想(2016.12)
 RATIUGは最も思い出深いバンドかもしれない。メンバーチェンジが激しかったせいか、その時その時で様々な顔があり、実際の活動期間よりずっと長い時間の経過を感じる。
 そしてRATIUGを振り返る時に欠かせない存在は何といっても吉田(PARAとは別人)の存在だろう。吉田とはバンド結成前からの付き合いで、同じバイト先の悪友的存在だった。初めて会ったのは1989年3月末だったと思うが、何しろ毎日顔を付き合わしているのだから親しくなるのも当然だ。お互いのボロアパートを行き来し、音楽のことはもちろんだが、仕事のこと、女のこと、ファッションやゲームのこと等、沢山話しもした。音楽的には高坂が先行していたが、経験的、対外的な要素は吉田が上回り、良いコンビだったように思う。バンド結成前のことだが、RATIUGを語る時、この時期のことはいつも思い出す。お互い金もない暮らしだったが、夏場に吉田の部屋で一緒に食ったファミリーマートのピーナッツチョコがうまかったこと。それ以来、未だに好物になっている。また、彼女を部屋に呼ぶために吉田が貸してくれた絨毯が、アリの襲撃に遭い、外に打ち捨てられるハメになったことも、未だに思い出すと笑えてしまう。ボロアパートの1階に住んでいた高坂の狭い部屋で食べた菓子等のカスをアリに狙われたものだが、朝目を覚ますとアリの長い列が目の前を行進していて、その数は百や二百というものではない。怖くなって窓の外に投げ捨てたところに吉田がやって来たというわけだった。吉田は「お前なぁ〜・・・」と言うだけで、他には何も言わず許してくれた。恩にきる。

 メンバーたち
 RATIUGには16人が関わったことになる(高坂と吉田を抜いて、最初期3人、第1期6人、第2期1人、第3期2人、第4期1人、第5期1人)。複数関わった人もいるので、結構な数だ。
 第1期の牧と佐知ねえは1989年12月のメンバー募集で、北世と山口は1990年3月の募集で知り合う。それぞれ思い出深いメンツばかりだが、共通しているのは自分の音楽レベルをググッと上に引き上げてくれたということ。それぞれの存在が刺激となって充実した毎日だったと思う。ただ、それは高坂からの視点であって、逆に見れば、よく他のメンバーたちは下手クソな高坂や吉田に付き合ってくれたなと思う。結局RATIUGは、高坂と吉田の上達に合わせてレベルが上がるようなバンドで、他のメンバーは最初からそれなりの実力者だった。
 四谷音楽館で初めて牧と佐知ねえにあった時、先に到着していた2人が薄暗い部屋の中で黙って待っていたのが印象的だった。北世と山口に初めて会ったのは池袋のマクドナルドで、やたら強気とハイテンションで話しまくっていた。どれも良い思い出。
 その後も別の機会に活動を共にしたメンバーも多数。佐知ねえ(第3期RATIUG)、北世(White Pom PomとNorthern World)、山口(White Pom Pom)、第2期の須藤さん(Northern World)、第3期の工藤と幸ちゃん(第4期RATIUG)、第5期の小松さん(Dark Side Moon)だが、それは音楽的相性の良さもあるが、その前に人間として魅力的で大好きだったということが上げられる。一人一人の手を握って「ありがとう、ありがとう」と言って回りたいほどだ。それぞれに様々なエピソードがあるが、あまりに長くなるのでここでは省略。

 音楽性
 四半世紀が経ち、今改めて当時の音を聞いてみて思うのは、当時はまったく気づかなかった魅力だ。自分のプレイを中心に聴いていたので当然かもしれないが、魅力は高坂と吉田以外から発せられている。佐知ねえの情感あふれる歌や、北世と山口の美しいハーモニーは当時も評価していたが、それ以外のも聴くべきところは沢山ある。総じて言えるのはリズム隊のグルーヴで、特に高坂と吉田の関与が少ない第2期は特に面白い。曲も高坂や吉田の選曲と違って、らしくない感じが興味深いものを生んでいると思う。また、当時は「聴くに耐えないほどの低レベル」と思っていたが、時間の経過で細かなミス等は全部忘れ、「結構上手じゃん」という感じに変わった。それとともに他のメンバーの頑張りがあってこそのものだと痛感したというわけだ。


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