明治神宮大会が原稿方式だったら

 明治神宮大会
 明治神宮大会は、もう一つの全国大会だ。そして新チームの最初の全国大会としての腕試し大会でもある。センバツや夏の選手権と違い、甲子園ではなく東京の神宮球場で行われ、秋季地区大会の各優勝校が出場する。優勝地域には春のセンバツの明治神宮枠が一つ与えられる。
 大会は、高校の部は1973年から行われており、以前は現行方式とは違うやり方で出場校が決められていた。北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州の10地区単位で出場校を出しているものの、北海道・東北、中国・四国をまとめられ、隔年で代表を出し8校であった時代も長かった(『ドカベン』の時代が相当する)。1999年までは招待試合の色が強く、秋季地方大会に進出したチームではなく、県大会の3位や4位校、甲子園に出場したことのないチーム等が選ばれることが多かった。
 ということは、ひょっとすると白新や東海などが神宮大会に選出されていた可能性もあるということになる。
 現行方式になったのは2001年の大会から。

北海道 北の誉水産
東北 青葉城商
関東 明 訓
東京 飯田橋実
北信越 野沢農林
東海 浜松農
近畿 紀伊田辺
中国 倉敷東
四国 土佐丸
九州 川上工
 1年秋
 さて、もし明治神宮大会が現行方式だったとしたら、これはこれで興味深いことになる。
 まず出場校だが、残念ながら関東以外の優勝校は分かっていない。北海道は1校だけの選出なので北の誉水産で間違いなかろうが、それ以外は適当に推理するしかない。
 東北は青葉城商が花笠だが、何となく宮城の方が強そうなので青葉城商。
 東京は飯田橋実と小金井大付。夏に小金井学院が代表になっているので、この地区の本命は学院の方で大付の方はラッキー出場的な感じと予想。早稲田実がモデルっぽい飯田橋実が東京王者と予想。
 北信越は信濃川と野沢農林だが、秋の時点での信濃川は徳川監督就任前なので、貧打戦のチーム。あまり強くなかったというので、野沢農林が王者。
 東海はまったく何の情報もないが、翌年が愛知っぽいのでこの年は愛知以外から。
 激戦の近畿は出場校も多いので難しい。センバツで一番勝ち残ったのは甲子、一番目立ったのはやられキャラとして御堂筋学院で近畿勢はあまり目立たなかった。ここは岩鬼におちょくられた紀伊田辺を(翌年も出ているし)王者に仕立ててみた。
 中国、四国、九州も情報はないが、土佐丸は一番可能性が高いチーム。明訓と対戦した大砂丘学院と桜島大商は甲子園がフレッシュな初対戦である感じにしたいので、それ以外のチームとした。
 優勝は連勝街道をいく明訓のはずなので、一番興味深いのは土佐丸だ。「神宮大会など結構」といって初戦敗退だろうか・・・。また、センバツ初日の第2試合に対戦する紀伊田辺vs川上工は近畿と九州の秋の優勝校の対戦としてレベルが高い試合だった(結果は1−0で紀伊田辺の勝利)と考えると、違った感じで見れる。

北海道 北海大三
東北 花 巻
関東 明 訓
東京 小金井大付
北信越 信州一
東海 富士北
近畿 通天閣
中国 倉敷東
四国 土佐丸
九州 柳島商
 2年秋
 2年秋。まず出場校だが、ハッキリとは書いていないものの、センバツ出場校の一覧があって、恐らく秋季大会の上位校から書いてあるだろうと予想できる。それは、まず関東大会がそうであるし、東海大会を見ると愛知が2校出ているのに、わざわざ離れて書いてあるからだ。つまり、東海2校と北信越1校を選出した後、東海3位と北信越2位の比較をしたということなのであろう。九州などは、たんに北から順に並んでいるだけにも思えるが、それは偶然として話しを進めよう。

 大会経過
 優勝はやはり作中の雰囲気から明訓と考えるのが自然のようだが、関東大会決勝の下尾戦で記録した山田の本塁打連続記録がセンバツに持ち越しになっていることから(明治神宮大会には出場していないというのが本当だろうが)、明訓は山田抜き、もしくは2軍メンバーで試合をして早々と敗退した可能性もある。土井垣監督ならば勝ちにいくだろうが、合理的な判断をする太平監督なら経験を積ませるためや試合に出してあげたいという温情から2軍メンバーを使うかもしれない。また、里中は故障で登板出来ないので渚が投げたのは間違いのないところ。一つ気がかりなのは、プライドの高い岩鬼が2軍メンバーで敗退するのを「良し」とするだろうかという点だ。よほど上手いことを言って説得しなければならないだろう。
 土佐丸も例によって早々と敗退するだろうから、そうなると決勝は花巻と通天閣の対戦となり、坂田が夏秋連覇している可能性が高くなる。センバツ前の坂田の自信満々なセリフぶりも神宮大会制覇に裏打ちされているとしたら、重みが増すだろう。