たら.れば

 1年夏の優勝は土佐丸
 最初の「たら・れば」は、1年夏に「もし犬飼小次郎が初回から全力投球をしていたら」というもの。
 全力投球とはいわなくとも、簡単に得点を許さない程度に抑えておくことは充分可能だった。それとも犬飼は極端にスタミナがなく、終盤に打ち込まれることを恐れていたのだろうか? 少なくとも作中でそんな雰囲気はまったく感じられなかったし、1年後にプロ入りした後の9月頃にはプロでバンバン投げているのだから、スタミナに問題があったとはいえないだろう。
 少なくとも、明訓戦の初回の2失点はなかったことになれば、3−1で明訓に勝利した公算が高い。
 決勝のいわき東戦はもの凄い投手戦になるだろう。犬飼兄弟も緒方には相当手こずると思うが、その他の選手も含め地力では明らかに土佐丸が上。

 1年秋の神奈川大会の優勝は横浜学院
 1年秋の神奈川大会は、里中が故障で白新戦などは不在で戦っている。この試合、投手は岩鬼、殿馬、岩鬼、殿馬とつなぎ、最後は山田で登板した総力戦で辛うじて勝利を収めているが、問題なのは、白新の不知火がなぜか監督業を優先させ終盤まで登板しなかったことだ。
 「たら・れば」は「もし不知火が先発完投していたら」というもの。明訓は苦もなくひねられ、連勝街道もここでストップしていただろう。センバツも不出場となったはず。
 白新が明訓に勝っていた場合、白新が優勝しただろうか? それはそうとも限らない。東海には勝っても横浜学院にやられていたのではないか。土門の初打席で、里中と同様のワナにはまるのではないかと予想する。1−0で横浜学院の勝利と見た。

 1年秋の関東大会の優勝はクリーン
 続く1年秋の関東大会。明訓ではなく横浜学院が出ていれば、初戦の甲府学院戦もなかなか興味深い対戦だ。しかし、明訓戦同様、賀間の一発で甲府学院が1点とれれば、横浜学院は土門しかいないので厳しい。この時期の賀間は迫力があって、選手層的には横浜学院だろうが甲府学院の勝利と予想。
 しかし、次のクリーン戦は勝てないだろう。
 明訓が出ていた場合でも「たら・れば」はあり、明訓が1−4で迎えた9回に、記憶喪失で野球を忘れた山田が本塁打を放ち同点とし、延長にもつれ込む展開となるわけだが・・・、野球を知らない人が1球見ただけで次の球を本塁打するなど、絶対に無理! いくら数多くの本塁打を放って体に染み付いていたとしても。また、延長の外野守備でも好守を見せているが、これも無理。クリーンとの一戦はすんなりと終わっていたはず。
 となれば決勝はクリーンと赤城山。影丸の背負い投法、木下の両手投法はともに山田対策の技だったため、封印したまま、しかも勝っても負けても甲子園のため、淡白な試合で地力に勝るクリーンが勝ち優勝していただろう。
 また、明訓と赤城山の決勝も、明訓に黒星をつける寸前までいっているので、「あの試合で赤城山が勝っていたら」という「たら・れば」もあり得る。
 ただし、甲子園出場はこの2校で代わりないので、この場合はセンバツでの試合ぶりには影響ない。

 2年夏の神奈川大会の優勝は横浜学院で甲子園にも影響が
 決勝の9回、谷津が捕球していれば山田三振で試合終了、横浜学院の甲子園が決まっていた。一度はミットにボールを入れながらの落球は本当に悔やまれる。
 「もし谷津が捕球していれば」
 横浜学院が甲子園に出ていれば、大会の行方も大きく変わっていたことだろう。土門の気合いと迫力が凄いので、初戦のBT学園戦は問題なく勝利して弁慶戦。明訓よりはすんなり「1番・土門」で行くことだろう。何しろ前年秋までは1番打者だったのだから。里中は武蔵坊に圧倒されていた感じだが、土門なら互角の勝負をしただろう。ただし、武蔵坊が土門から本塁打を打てたかどうか、逆に土門は2本目を打てたかどうか、未確定要素が多いのでここでは判断しない。武蔵坊が対戦した犬神と里中ともに剛腕タイプではないだけに、土門との対戦は興味深いものがある。
 大会の行方が大きく変わっていたというのはここからの話しだ。明訓敗退のショックでいつの間にか消えてしまった赤城山とクリーンは、最初から明訓が甲子園に出ていないということで、元気に試合をしていた場合、通天閣にとっても甲府学院にとっても相当のライバルになるであろうこと。また弁慶が横浜学院に勝ったとしても武蔵坊が健在なら、これまた相当のライバルになること。横浜学院が勝っていても同様。
 いや、それ以前に、明訓を倒すためにチームを結成して出て来たという弁慶は、明訓が神奈川予選で敗退したとなるとやる気を失い、初戦で土佐丸に負けていた可能性もある。そうなれば、前年にフォークボールで大会を席巻したいわき東の緒方のように、犬神も相当な活躍をした可能性が高くなる。
 となれば、通天閣と甲府学院は言うに及ばず、土佐丸、赤城山、クリーン、そして横浜学院と明訓ロスながら、ライバルたちが結集しての、これはこれで相当に濃い大会になっていたに違いない。