山田は貧乏なのか

山田は貧乏なのか?
 『ドカベン』登場人物は貧乏か金持ちか両極端が多い。山田や里中、雲竜、賀間あたりはかなりのド貧乏で、岩鬼、小林(東郷)、影丸、渚あたりは裕福な家庭だ(岩鬼は途中で貧乏に転落したが)。おそらく殿馬や土井垣も結構裕福な家庭に育ったと思われる。
 ここでの謎は、山田は本当に貧乏なのだろうか?というもの。これはあくまで『ドカベン』の中の話し、つまり中学から高校生の頃の話しで、後にプロ野球に進み、高額の年俸をもらうようになってからの話しではない。
 住まいはいかにも貧乏そうな長屋だし、食事や弁当も貧しさがモロに表われているし、実際、サチ子は何度も「お金がない」という主旨の発言をしている。また、祖父が幽鬼鉄山の「万年蹴り」を食らった際に病院に行く金がなかった事実もあるので、どう考えても貧乏だ。しかしそれで結論とするには早計だ。

貧乏でないかもしれない理由
 貧乏ではないかもしれない最大の理由は山田の学校だ。西南中学が公立なのか私立なのかは分からないが、転校先の鷹丘中学は明らかに私立だし、明訓高校に至っては通っている生徒が金持ち揃いの雰囲気すらある。貧乏な山田には似つかわしくない。

鷹丘中学
 まず鷹丘中学だが、この学校の人間で他に貧乏そうなのは、猛司と木下くらいだが、木下にしても山田ほどではなさそうだ。一つ気になるのは、校長が随分山田を買っていて、「この学校を変えてくれるかもしれない」とまで言っていることだ。それに対し、山田は深い感謝の念を持っており、銅像を磨いて恩返しをしている。つまり、特待生のような扱いであった可能性が高いということだ。
 一端は高校に進学はせずに畳屋をやると決意もしているところからも、やはり貧乏であることが伺える。

明訓高校進学
 ならば、明訓高校はどうであろう。なぜ明訓に進学したかはあまり多く語られていないが、「土井垣に憧れて」というのが唯一分かっている理由だ。しかし、それだけで私立を選んだのは合点がいかない。山田の学力は、大河内や殿馬ほどではないが、なかなかの位置につけている。かなりの進学校っぽい鷹丘中学でそれなりの位置にいるということは、当然、入れる公立高校はいくらでもあっただろう。
 しかし、進学の際、将来の就職や大学進学のために高校に入るのではなく、「野球のため」というのはかなり明確になっている。祖父はハッキリそう言っているし、山田も不知火や雲竜、里中と出会って心変わりをしたのだから、これは明らかだろう。山田の進学先は野球の水準がある程度ある高校でないと意味がなかったというわけだ。
 鷹丘中学同様、特待生だったのだろうか。しかしそれを感じさせる描写はまったくない。それどころか、入学したての山田の扱いは特待生どころか、かなり悪いものだった。何しろ洗濯ばかりしてまともに練習する時間すらとれない有様だった。
 それに明訓は決して強豪校だったわけではなく、もちろん甲子園にも出たことがなかった。土井垣が騒がれるほどの逸材だったのは特別で、他はザコだ。野球で特待生をとっている可能性がそもそもないのだ。
 それなら山田は普通に金を払って通っていることになる。しかも寮で生活している。授業料の他に、部活関連の費用と寮費もかかることになる。かなりの額になることだろう。

もう一つの謎
 実はもう一つ、山田が本当に貧乏なのか疑いたくなる理由がある。それは、山田が超高校級の選手だということだ。技術は長年の鍛錬によって上達したものだとして、そのパワー、つまり体格はどう説明出来るだろう?
 明訓の寮での食事で得た身体ではない。中学時代、いや子供時代から立派な体格をしているのだ。ほとんどご飯と沢庵、たまの贅沢でサンマというだけでは、あの太めの身体と底知れぬパワーを持つのは不可能であろう。山田はかなりの大食いだろうと予想出来る。人並みはずれた栄養の消化効率を持っていたとしても、あれだけの運動量を支えるのはやはり相当の食事量がいるのではないか。
 寮生活ではなかった鷹丘中学時代でも、怪力の岩鬼や賀間と対等に渡り合い、ロープで畳を何枚も背負って歩き、柔道や野球で機敏な動きをしている。
 ただし、背は低い。たんに遺伝かもしれないが、成長期である中学時代に意外と伸びなかった可能性はある。すると、鷹丘中学時代の貧乏な暮らしとは合致する。

山田の生い立ち
 山田の生い立ちをみてみよう。両親は交通事故でなくしている。伊豆への家族旅行の際、バスごと崖から転落し、山田とサチ子だけ助かったという過去がある。すでにその際に良い体格と運動能力を有している。この事故が何歳の時か明確ではないが、サチ子がおしゃぶりをしているので、0歳か1歳。とすると、8つ離れている山田は9歳くらい。3年生ということになる。
 また新潟在住の際に、相撲大会で優勝しているのはこの後だろう。青山(雲竜)が5年生で6年生の巻田を倒したその後の大会なので、山田も5年生の時のエピソードだろう。この時も優勝に相応しい体格をしている。反対に、あの巨漢の雲竜(青山)は5年生の時に痩せ細った少年であったことがわかる。普通貧乏ならこうなるはずだ。この大会の優勝賞品の米を青山にも分け与え、しかしその直後に家を失い神奈川へ引っ越すハメになっていることから、生活は楽ではなかったことも伺える。
 中学では地元の公立中学の西南中学に入り野球部で活躍していたが、東郷学園との試合で小林の目をスパイクで傷つけ、野球を止め、なぜか学校も転校する。その転校先が鷹丘中学だ。この転校は大きな謎だが分からないが、おそらく特待生のような形だろうと推測できる。
 この生い立ちから分かることは幼い頃から良い体格をしていたということだ。

両親
 そこで考えられるのは、両親存命中はそれなりの生活をしていたのではないかということ。少なくとも家族で旅行をするのだから、その程度には経済的余裕があったということだ。食事も不自由なくありつけたことだろう。まず3年生までは貧乏でなかったことが分かる。
 5年生の相撲のエピソードの際は貧乏そうな家に住んでいたし、その家すら住めなくなっているので、生活は厳しかったのだろう。しかし山田の体格は相変わらずだったのはどういうことだろう。
 この時点では両親の残した財産がまだあったと考えるしかないだろう。つまり両親存命の頃はかなり裕福だったということ。そして亡くなった後も、それなりには食えていたということ。
 祖父の考えなのか、父母の貯蓄は出来るだけ残し、将来の学費に使おうとしていたのだろうと推測できる。そして鷹丘中学は特待生として、明訓高校は普通に授業料は払って進学したということになる。
 以外に金に余裕があるかも、と思わせるのは、例えば、祖父が甲子園に行かないのは、金のせいではなく、「見に行くと負ける気がするから」ということだし、岩鬼家が倒産の憂き目にあった時は無償で畳を何枚も提供している。畳を作るにも材料費はいるのだし、本当に厳しい経済状況ならいくら親切心があっても無理だろう。

祖父の生活スタイル
 そこまで考えると、両親存命中は裕福だったが、事故後は祖父にひきとられ極貧生活となるが、それは祖父の生活スタイルの影響であった、ということ。祖父は戦争経験者だろうし、昔からああいうスタイルで生活していたのではないだろうか。両親存命中は別居していたのだろう。そして祖父はずっと長屋のようなところで生活していたのだろう。厳しいところもある祖父の生活スタイルを、山田太郎がそのまま受け入れ、幼いサチ子は物心つく前にその生活しなったので、それが普通と思っているのだろう。