山田太郎の打率

高校野球史上最強打者
 高校野球史上最強の打者は誰か?古くは川上哲治、王貞治から、清原、松井、清宮までたくさんの強打者が登場したが、ここでは山田太郎が最強打者という前提で話しを進める。それはつまり、「他の打者が達成できた記録は山田も達成できる」と解釈するということだ。

 山田の打率について残された謎
 山田の打率については、豊福きこう氏が詳細に調査し算出されている。通算330打数232安打176打点75本塁打で打率は7割3厘。甲子園とその他の試合についても、甲子園は132打数99安打51打点20本塁打で打率7割5分、その他の試合では198打数133安打125打点55本塁打で打率6割7分2厘。
 「甲子園の方が打率が良いんかい」というツッコミはさておき、残された謎というのは次の通り。豊福氏のデータによると、作品の調査では、甲子園での打率は6割9分9厘だったという。これは分からない打席は省いたもので、安打にも凡打にもカウントせず、打数なしになっている。つまり不出場と同じ扱いということだ。
 しかし、『ドカベン プロ野球編』では「甲子園打率7割5分」とされているので、これを採用すると、豊福氏データに57打数57安打をプラスする補正作業が必要となるという。

 57安打の意味するところ
大会 スコア 相手 打数 安打 打点
3-1 通天閣 4 2 1 凡退 凡退 右前安1 右前安 - - -
1-0 梅ヶ丘 3 0 不明 不明 不明 - - - -
不明 数打席不明 - - - - -
神 商 数打席不明 - - - - -
5-4 土佐丸 4 2 2 中越二2 三振 凡退 右越本2 - - -
2-1 いわき東 3 0 0 遊ゴ 投飛 中飛 - - - -
3-0 桜島大商 数打席不明 右越本2 - - - -
7-5 大砂丘学院 数打席不明 右場外本4 - - - -
2-1 江川学院 敬遠 敬遠 敬遠 敬遠1 敬遠 - -
3-2 信濃川 右越本2 右中三塁打 - - -
6-5 土佐丸 右越本3 三振 投直 死球 三振 - -
6-5 BT学園 右越本2 三塁打1 右直 - - -
2-3 弁 慶 右越本1 四球 右ゴ 左安打 右越本1 - -
2-0 通天閣 右越本3 左越二塁打 凡退 安打 - - -
3-1 花 巻 敬遠 投犠打 四球 中越本3 - - -
1-0 土佐丸 数打席不明 右飛失 数打席不明 右越本1 - - -
1-0 石垣島 数打席不明 右越本1 - - -
4-3 北海大三 数打席不明 中越本4 - - -
4-2 室戸学習塾 右飛 投ゴ併 三振 右越本1 - - -
9-5 りんご園農 右三塁打 投直 右越本3 数打席不明 - -
1-0 巨人学園 右直 遊ゴ 遊ゴ 不明 - - -
4-1 左越本4 - - - - - -
4-4 青 田 三振 右飛 投ゴ 右越本1 左安打 三振 右中本1
2-1 青 田 三振 三振 右越本1 - - - -
4-3 紫義塾 一直 二直 三振 右中本2 - - -
 1試合4打席か5打席。57安打ということは、4安打ずつ打っても14試合以上になってしまう。
 内容が完全に不明の試合は1年夏の神商戦しかないので、この試合で荒稼ぎしたのかと思いたいが、そうではない。この試合後、「ここまで打率5割」と判明しているのだ。梅ヶ丘戦では4打席目に殿馬のサヨナラホームスチールがあったので、この試合は3打席。3回戦と神商戦は不明だが、2試合で7打数を加算すると14打数になるので、4試合で14打数7安打とするのが一番良い。別に16打数8安打や18打数9安打と仮定しても良いのだが、後で7割5分につじつまを合わせるためには、少しでも少ない打数の方が有利なので、14打数とする。これで1年夏は全部で21打数9安打ということになる。
 これより後の不明打席をすべて安打に換算して計算して、少しでも7割5分に近づける作業をしてみる。判明している打席が多い2年夏は最大8打数5安打。
 2年春に打席数も不明の試合があるので、この試合で多くの打席が回って来ているのではないかと仮定してみる。しかし得点は判明しているので、チーム最大打席数は(3アウト+3残塁)×攻撃イニング数+得点 という計算式が成り立つ(牽制アウトや盗塁失敗がなければ)ので、桜島大商戦はチームで51打数、大砂丘学院戦はチームで55打数。4番・山田に回って来る打席は、5打席と6打席。チーム残塁は最低でも21ずつとなり(山田の最終打席の次の打者で攻撃を終えたと仮定した計算)、明訓はとても残塁の多いチーム、つまり極端な拙攻のチームという特徴が挙げられることになる。
 そして、その計算で出た打席全てで安打したとして、2年春は19打数16安打ということになる。
 同様の計算法で3年春を計算すると、土佐丸戦と石垣島戦はチーム49打数で山田は5打席回って来た可能性が計算上は出せる。土佐丸戦は1打席が一失と判明しているので4安打。石垣島戦は5安打。どちらの試合もサヨナラ本塁打なので、9回は残塁なしでチーム残塁は24。北海大三戦はチーム打席数が55で、山田は6打数。腕を負傷し辛そうな試合だが、長打はなくとも単打は打っていたことになる。
  打数 安打 打率 累計打率
1年夏 21 .429 .429
2年春 19 16 .842 .625
2年夏 .625 .625
3年春 16 14 .875 .688
3年夏 29 13 .448 .613
合計 93 57 .613  
 この計算でいくと、3回戦途中から決勝の間で、驚異の12打席か13打席連続安打となる。いや、この大会で凡退したのは通天閣戦と土佐丸戦の1打席ずつのみ、16打数14安打ということになるのだ。連続出塁は18(花巻戦の終わり2打席から残りの全打席)というオバケ記録もついて来る。
 この春の大会までで、通算打率が7割5分とされているのだが、しかし、これだけ驚異的な数字を駆使しても7割5分には届かない。上記の通り、64打数44安打で6割8分8厘と、7割にも届いていないのだ。

 更に3年夏を加えると
 りんご園農戦は比較的点の入った試合で、後半は不明なので、多めに3打数を加算し、6打数5安打とし、巨人学園戦は4打数1安打として計算すると、合計29打数13安打で打率4割4分8厘。更に打率が下がってしまう。

 矛盾点を越えて
 すべての整合性をとることは出来ないようなので、矛盾点のいくつかはデータの間違いとして目をつぶる以外になさそうだ。
 3年春の段階で通算打率7割5分というのは公式記録っぽい扱いなので、これを重視した場合、どこかで打率を荒稼ぎする試合がなくてはならないことになる。ただ、これまでに見た通り、最大打席数と安打数を算出するのはスコアとイニング数からある程度に限定されてしまうので、やはりスコア不明の試合しかあり得ないことになる。すると、1年夏の3回戦、準々決勝の2試合しかないことになる。この試合を終えて、打率5割というのは間違いであると仮定するしか道はなさそうだ。

 1年夏を再計算
 「3試合で打率5割」に縛られなくても良いことになれば、梅ヶ丘戦ももっと自由に設定出来ることになる。再び、計算上の最大値を考えてみると、チーム打席数は最大51となるが、最終打者が山田ということが判明しているので、5番打者の山田が6打席目にサヨナラ本盗があったと考えられる。つまりこの試合の山田は5打席の可能性があるので、安打数も5。これで通天閣戦、梅ヶ丘戦、土佐丸戦、いわき東戦の4試合合計が16打数9安打となり、3年春までならば通算59打数44安打で打率7割4分6厘。ほぼ7割5分を達成したことになる。3回戦と準々決勝も7割5分ペース(4打数3安打)でいけばほぼクリアといえる。

 幻の3回戦の試合内容
 しかし、5季全部での通算は88打数57安打で6割4分8厘にしかならない。もっとどこかで安打を荒稼ぎ出来ないか。
 『1年夏の謎』で明訓の3回戦の相手は岩平高校とした。この岩平高校戦と次の神商戦の2試合で荒稼ぎ出来るだけしなくてはならない。10打数10安打でも足りないので、可能性のある限りの最大の数字を出してみよう。
 可能性という点だけならば、100打数100安打だってあり得るが、あまりに現実離れしている。そこで、最強の明訓高校という設定なので、1985年のPL学園は東海大山形戦で記録した29得点を上回る30得点の場合で考えてみよう。明訓ならそんな試合が1試合くらいあっても良い。
 都合の良いことに、1年夏の3回戦、岩平高校戦が2回表までで1−0という以外はまったくの不明だ。この試合を30点ゲームにしてしまう。
 明訓は後攻なので、残塁を最大にして計算すると、アウト24、残塁24、得点30で計78打数。5番・山田は9打数あったことになる。従って、30得点の場合は9打数9安打ということになる。
 山田個人の打撃成績はなかなか凄いことになる。この2試合で18打席連続安打。前の梅ヶ丘戦も5打数5安打、更に前の通天閣戦も終わり2打席で安打を放っており、土佐丸戦も合わせると、驚異の26打席連続安打という、信じ難い大記録を作っていることになる。
 梅ヶ丘戦から神商戦の23打数23安打があまりに現実味のない数字なので、計算上の整合性を保ったまま凡退の打席も加えると、27打数24安打、31打数25安打でも数字の上では合う。ただし、3試合で27打数となると、1試合平均9打数必要になるので、3試合で23打席がいいところだろう。これでも平均8打席弱だから考えにくい数字だが。
 それにしても。接戦に強い印象のある明訓が、まさかの1試合24残塁というのはヒドすぎる。しかも梅ヶ丘戦や神商戦でももの凄い残塁数となる。明訓は、安打は山のように出るが残塁がとんでもなく多い超拙攻のチームということになってしまう。また、山田はもの凄い数の出塁率を誇るが、それ以外の選手はあまり出塁しないというこにもなる。

試合 スコア 山田の
打数
山田の
安打
通天閣 3-1
梅ヶ丘 1-0
岩 平 30-0
神 商 30-0
土佐丸 5-4
いわき東 2-1
通算 34 27
 1年夏の最大値
 上記の通り、神商戦も3回戦と同様の考えを適用させ、またも30点試合と仮定する。
 明訓が守って終わっているので、先攻ということも考えられるが、いずれにせよ山田の打数は9打数が限界だ。こうして出した1年夏の山田の打撃の数字は右図の通りで、34打数27安打。打率は7割9分4厘。これが最大値といえるだろう。
 すると甲子園通算では、106打数75安打で7割8厘。何と、これだけやっても7割5分には届かない計算だ。
 ちなみに、三振記録を続けていた岩鬼だが、神商戦を終わって12三振ということが分かっている。山田がこの試合までで27打数なので、1番打者の岩鬼も同数のはずだ。三振以外に15の打席があることになり、そのすべてが四死球か犠打となる。出塁率で言えば5割以上だ。徳川監督が起用し続けていたのはこれが理由か。
 いや、岩平高校戦は欠場した可能性もある。その場合は18打数で12三振、6打席で四死球か犠打ということになる。

 1年夏を再評価
 これにより、1年夏の明訓の評価も変わってくる。
 2試合続けて30点もとったいうことは、圧倒的に大会通算得点や安打数(それに残塁数も)記録を打ち立てたことになるし、緒方や犬飼、坂田といった好投手の前に打線は苦戦していた印象だったが、実は圧倒的に打撃力の高い超攻撃的型のチームながら拙攻を繰り返す攻撃の超下手なチームであるものの、それをものともしないほどの強力打線のチームだったという印象に変貌する。
 また、30得点を2試合連続で記録した後の試合でキャッチボール投法で挑んだ犬飼の大胆さもとんでもなく際立つことになる。いや、逆に普通の投球では無理と奇をてらった可能性も出て来る。
 また、2回戦の梅ヶ丘は、この超強力打線を相手に圧倒的に押されまくる試合展開ながら、最終的には奇策の1失点のみに抑えたのだから、梅ヶ丘の倉島投手の評価はかなり高めなければならない。緒方2失点、犬飼5失点、坂田3失点というのも神商戦、岩平戦と比較すれば充分に評価出来るが、軟投派の倉島投手こそ明訓を最も苦しめた投手ということで、倉島投手か里中が大会No.1投手という評価になるだろう。
  試合数 打数 安打 打率
1年甲子園 6 34 27 .794
2年甲子園 7 27 21 .778
3年甲子園 12 45 27 .600
合計 25 106 75 .708
 そして山田が在籍した3年間の夏の甲子園で言えば、明訓は1年時の打線が最も強力だったということになる。比較的成績の良いセンバツでの記録を加えて甲子園での成績を見ても、山田は1年時の打率が最も高いということになる。

 甲子園の方が打率が良い謎
 当然ながら、甲子園以外の試合でも不明の打席はたくさんある。甲子園以上に、1試合まるまる不明という試合も多い。この点を考えれば、甲子園の方が打率が良い謎は簡単に解ける。
 不明の試合に多くコールドゲームの試合も混ざっており、山田も相当の安打数を稼いでいると想像することはまったく不自然ではない。甲子園で記録した打率7割5分のつじつまを合わせることは大変だが、不明試合が多く、大差がついてもおかしくない地方大会では簡単なことだ。
 結論を言えば、「地方大会は甲子園以上の打率・打点・本塁打を記録しているだろう」ということだ。しかしその数字を挙げるには不明の試合が多すぎて無理な話しだ。
 そして最後に指摘しておきたいのは、そんな山田をある程度以上に抑えた投手は、通常の年ではあり得ないほどの好投手だったということで、不知火を筆頭に土門や犬神、犬飼兄弟、坂田、中らの図抜けたレベルに対し敬意を表したい。